たけさんラーメンのパリ開業一周年に私どももお邪魔した。
竹田社長はたいそう喜んでくれた。
長野で1店舗しかやっていなかった「たけさん」。
海外フランチャイズと言ってもモンゴルに2店舗、パリに1店舗という状態だが、竹田社長の目には光るものがあった。
https://youtube.com/shorts/02dzPa5lhJI?feature=share
私たちと竹田社長との出会いは2015年。弊社が開催した海外フランチャイズのセミナーに参加されていた。共通の知人で店舗デザイナーの紹介で私たちのセミナーに参加されていた。が、その当時は何が起きることもなく、単にセミナー参加だけで話は終わっていた。
急転するのは2017年10月のこと、そのデザイナーがFace Bookで「今度味噌ラーメンを開業します」と施工中の店舗の写真を投稿していたのだった。
私はそれを見て即座に「どこですか?どんな味噌ラーメンですか?」と反応した。
実は当時私たちは世界に出せる味噌ラーメンを探していたのだった。
なぜ味噌ラーメンを探していたのか?
それは2011年にシンガポールに、ばり馬ラーメンを出店し、大盛況となり、海外の方はラーメンを麺料理ではなく、スープ料理と認識していることに気付いたからだ。替え玉ではなく替えスープを求めてくるほどにスープ料理なのである。
ラーメンが麺ではなくスープ料理であり、かつ世界市場を狙うとなると、世界人口の3割に迫るイスラム教の方々でも食べられるラーメンで、かつスープに価値を持てるもの出なければならない。
ラーメンスープには、既にシンガポールで大盛況となった「豚骨」のほかに、
・醤油
・しお
・鶏
・味噌
と主だったものがあるものの、醤油=醤油を薄めたような印象を持たれる、塩=想像できない、鶏=チープな印象があるとなり、味噌が数あるラーメンの中でも世界と戦える可能性があると、踏んだのであった。
そして弊社土屋社長は、味噌ラーメン探求の旅に出た。
毎日8軒の味噌ラーメン屋を北海道から九州まで食べ歩いた。
が、しかし、世界で戦える味噌ラーメンとは出会えなかった。
理由は、どの味噌ラーメンも、ベーススープに豚骨や鶏ガラなど畜肉を使っており、味噌は風味の一つでしかなく、味噌が立っていないのだ。
そして、味噌ラーメンオーナーと話をし、世界で戦える味噌ラーメンを作るために味噌が立つ、畜肉レスの味噌ラーメンへの挑戦を提案すると、誰もが首を横に振ったのだった。
そんな落胆の日に、長野で味噌ラーメンの新店舗の話を知人のFace Bookで知ることとなったのだった。
即座にアポイントを取り、長野に新幹線で向かった。
そして、長野市内にあるたけさん1号店にて、土鍋味噌ラーメンを初めて味わった。
落胆した。
ここも豚骨味噌ラーメンであったのだった。
新幹線で高いお金をかけて来たのに、豚骨に依存する味噌ラーメンだった。
落胆しきった表情丸出しで、私は竹田社長に思いを語った。
すると竹田社長は、
「わかりました。挑戦します。豚はおろか、一切に畜肉を使わないスープを作ります。そして麺からも卵を排し、Veganの味噌ラーメンを作ります。更に、味の素など化学調味料不使用のラーメンを作って見せます。」というのだ。
私は嬉しかったものの、内心複雑だった。
というのも、日本のラーメンチェーンの社長の多くは、自分で味を構成せず、多くを業者(スープ業者や麺業者)に丸投げして、業者からのメニュー提案を受け入れるというケースが多いことを知っていたからだ。
しかし創業10年で、たった1店舗しか経営していなかった竹田社長は違った。
2週間後に電話が鳴った。
「松本さん、できました。Veganの土鍋味噌ラーメンです。食べに来てください。」
前回は新幹線で出張したが、今回は半信半疑だったのでコスト3分の1のバスで長野に出張した。これ以上の無駄使いは出来ないという思いだった。
バスは時間は2倍以上かかるものの、偶然私の当時の自宅から200mのところに長野行きの高速バスのバス停があり、広々とした車内は想像以上に快適であった。
時折停車するトイレ休憩も満喫し、長野駅に到着。竹田社長の迎えを受けて試作品の試食に向かった。
店舗には三種類のスープが用意されていた。ブリックス(濃度)が違う三種類だ。
早速試食をする。
味噌の味が濃い。風味もある。こってりした感触もあるものの、一切畜肉は使っていないという。
ブリックスについては、のちに主流となるドロッとした濃度の一番濃いものが美味しいと思った。
3つの試作品は、それぞれ普通の一杯のサイズが3つであったが、土鍋で作っているからか、時間が経っても温かくおいしく食べることができた。
たぶん2時間ほどの面談時間だったと思うが、3杯の試作品はすべて私の胃袋に収まってしまった。
実はここだけの話。私はプライベートではラーメンをほとんど食べない。ラーメンやパンなど小麦製品を食べすぎると大腸の調子が悪くなり、超・便秘になるのです。仕事柄パンもラーメンも食べることが多いのですが、決死の覚悟です。
この日もついつい、美味しくて試作品だから、ある意味残しても当然の土鍋味噌ラーメンを3杯、完食してしまいました。スープまで。
翌朝の便通が気になっていたが、翌朝はなんと快便。
大量の小麦粉接種と同時に、Veganスープの大量の野菜接種と植物繊維のおかげか、むしろ調子が良いほどであったのだ。
のちに信州味噌蔵ラーメンとして、売れ筋ナンバー1となる人気メニューの誕生の裏話でした。
ところで、竹田社長はなぜ2週間で、Veganな信州味噌蔵ラーメンを完成し得たのか?
それは、翌年1月に開業となる創業10年にしての2号店小布施店があったからだ。
創業10年の間、自らが店頭に立ち続けた竹田社長だったが、2号店の開業に合わせて1号店を任せることのできる人材を育成していた。
そして本人は2号店の開業に100%の時間が使えるようになっていたのだった。
小布施という町は、人口1万人の高齢者人口比率4割強の老人の町である。ただし、9月~11月は栗シーズンということで全国から観光客が集まる。観光需要も狙える町なのだ。
小布施駅のある長野電鉄の終点駅は湯田中と言って、温泉に浸かる野生の猿(Snow Monkey)で有名で冬にはSnow Monkey目当てに外国人観光客も来る土地柄。そんな土地に2号店を開業する竹田社長は、①日本人高齢者に受け入れられるメニュー、②外国人観光客に受け入れられるメニューを考えていたので、今回の世界で戦えるメニューの話には持ってこいであったのだ。
実際、これは予想していなかった幸運が訪れる。
それは信州味噌蔵ラーメンが、小布施の特に高齢者の胃袋をがっちりつかんだのだった。
皆さん、良く飲んだ後にラーメンを食べて、翌日胃もたれをする経験は無いだろうか?
実はその胃もたれは、畜肉系スープの影響なのだ。
畜肉を一切使わず、野菜だけで作られている信州味噌蔵ラーメンは、昔若い頃にラーメンを食べていたものの、年をとってから遠慮気味になっていた年配層に、胃もたれせずに楽しめる美味しいラーメンを提供したのだ。
なんと、全注文数の3割以上を信州味噌蔵ラーメンが占めるほどになった。
これは店の収益にも大きな貢献がある。
ラーメンの単価は味噌豚骨と同水準にしているのだが、食材原価が半分以下なのがVeganの信州味噌蔵ラーメンである。豚骨の代わりに野菜、チャーシューの代わりに高野豆腐(スタート時はレンコン揚げ)。原価率は大変低いメニューが、最大売上ということとなった。
そんな中、私たちアセンティア・ホールディングスでは、様々な海外の企業家から「自国へ日本のフードビジネスをフランチャイズで持ち込みたい」という相談を受けている。
そして、ZOOM面談などで相手のニーズやウォンツを把握し、幾つかの具体的ビジネス案件を提案し、来日しての視察ツアーを組んでいる。
たけさん小布施店が開業した2018年に、視察ツアーにやってきたのがモンゴル企業経営者だった。
たけさんを視察するまでに、広島で他のラーメンフランチャイズ本部を訪問し検討を重ねていたのだが、最終視察地でたけさんの視察で、創業240年の穀平味噌醸造場を視察し、ウッディーなデザインのたけさん小布施店に入り、土鍋で提供された味噌ラーメンを食べた段階で、加盟への意思決定をゆるぎないものにしていた。
味噌工場でのストーリーから、店舗デザイン、土鍋、そして味噌ラーメン、この一環した流れにほれ込んだ形でモンゴル店がスタートすることとなった。開業は翌年2019年の夏だった。
そしてパリ店。
こちらは当初はチーズケーキに加盟したいと弊社を訪ねてこられ、色々ZOOMで面談していく過程で、パリではじわじわラーメンブームがはじまり、既存のラーメン店に勝てるブランドは無いか?という視察ツアーを組むこととなった。
この視察ツアーはラーメン一色で、西から東へ8軒のラーメンを視察したのだったが、たけさんで同じく創業245年の穀平味噌醸造場で繰り広げられる伝統的味噌作り、そして敷地内にあるたけさんのウッディーな店舗、そして不思議な土鍋、そして味噌ラーメン。
常々、地元のマーケティングには自信があると発言していた加盟企業からすると、穀平味噌醸造場もたけさんもマーケティングできるコンテンツ、ストーリーに溢れる案件に見えたのだろう。
こちらも視察段階で加盟をほぼ意思決定された。コロナが明けた2022年末のことだった。
竹田社長にしてみれば、創業10年で2号店を開業する。
その店舗デザイナーが、大学時代からの友人であり、1号店も2号店も、そしてその後モンゴルもパリもデザインするデザイナーが、たまたまアセンティア・ホールディングスと知り合いであったこと。そして、アセンティアが味噌ラーメンを探している最中に2号店の建設工事をしていたことが、ことの発端であった。
漠然と海外を思うことはあっても、パスポートすら持っていなかったという竹田社長。
しかし、地元のお客様を喜ばせるための創意工夫と努力は並々ならぬものがあった。
たけさんラーメン一号店開業までに東京のラーメン店で数年間修行をする。
そして、長野の名物になれるラーメンを作りたいという夢を持って、信州が一番の産地である味噌を使い、冬の寒さでも温かいままあり続ける土鍋を使った、他に無い土鍋味噌ラーメンを開発し、2008年に開業した。
10年までは1店舗であったが、17年経った今は日本に2店舗、海外3店舗。
パリやモンゴルにも轟く長野の名物ラーメンが誕生している。
私たちの活動が貢献できていることを誇らしく思う。