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サンマルクの海外進出の軌跡について

 私とサンマルクは昔からの関係があります。その最初の出会いは1991年からスタートしています。当時 岡山に2店舗、広島に2店舗しかなかった郊外型の ベーカリーレストランサンマルクの日本国内におけるフランチャイズの加盟開発の支援をしたことがスタートです。 

 

思い起こせば、1991年の3月30日、岡山のまだ小さなサンマルク本社の会議室に、私を含め幹部陣20人ほどでお伺いして、サンマルクの事業モデルの説明を創業者の片山直之社長から聞いたことがこのプロジェクトのスタートです。

3月30日は私の誕生日でもあったのでよく覚えています。

 サンマルクロゴ saintmarc

最初の担当者となり、1991年から約4年間サンマルク本部に出向し、本部の2階に机を置かせていただき、ほぼ毎日サンマルク片山社長や幹部陣とミーティングを重ねて加盟開発や事業推進を行ったことは大きな経験となりました。

店頭公開までの約4年で100店舗ほどのフランチャイズ加盟店舗を作ることができました。

当時のサンマルクは岡山以外への初の直営出店であり、その後のサンマルクの売上利益の成長に大きく寄与した神戸学園都市店は、当時私がお世話になっていた大和ハウスの専務からの紹介物件であったのですが、出店に向けて厨房リース契約が通らないような中小企業だったのです。

 

 当時、加盟金1000万円(日本で2番目に高額)、店舗初期投資が約2億円だったベーカリーレストラン サンマルクの郊外型の店舗を4年で約100店舗まで広げたということが大きな成功となり、サンマルクは1995年に株式上場 (店頭公開 )をすることができました。

 

当時フランチャイズの加盟開発といえば自社でフランチャイズ・ショーに出店するというようなことしかなかった時代です。アントレもフランチャイズのマッチングサイトもありません。初期投資2億円のサンマルクはフランチャイズ・ショー向きではないと考え一度も出店したことはありませんでした。

それではどのようにフランチャイズの加盟開発を行っていったのか?

こうすれば加盟開発できるというような参考書は全くなかったし、歩くべき道標もなかったのです。

 

フランチャイズ開発に加盟企業を見つけることと物件を取得することの両方が必要です。

自社物件での展開なら良いのですが、そうそう600坪の郊外型物件を所有している企業はありません。

私が最初に携わったサンマルクでのフランチャイズ本部構築、加盟開発、物件立地開発の経験が今日本のフランチャイズを海外に展開するという事業の根幹になっていることは言うまでもありません。

 

まず、

・フランチャイズ加盟企業の開発については、

フランチャイズ開発は当初苦労しました。なにせ2億円の新規投資を誰が行うのか?

中小企業であれば社長以外は意思決定できない金額です。

日本の中小企業の経営者にどのようにしてアポイントをとって会うか?

何をどう説明するのか?

サンマルクの何に興味を持ってもらうのか?

多くの試行錯誤がこの4年の間になされました。

現在の多くのフランチャイズ本部の加盟開発とは全く違った施策で開発を進めていったのです。当然パソコンもインターネットも携帯もない時代ですから。

今の時代でも十分に通用する開発手法です、今のほうがインターネットや電子機器がある分楽かもしれません。

多くを語りませんが、エッセンスは「モノを売らずにコトを売る」「機能や性能、売上といった数字を売らずに、コトを売る」これにつきます。

フランチャイズ契約は、契約がゴールではありません。店舗が出店して事業がスタートしないと意味がないのです。売上利益といった数字は確かに大切ですが、それ以上にその事業に加盟して事業展開する意義、社内でのその事業に取り組む意義、地元エリアでの事業の存在理由、様々なコトを理解して展開しないと意味がないのです。

長い付き合いになる加盟企業の経営者の人となりも非常に大事です。

モノを売らずにコトを売る、経営者の人となりを見抜く、様々な経験がその後の事業の糧になったことは言うまでもありません。

また、日本中の経営者に出会い、人とのつながりをいただき、35年たった今でもお付き合いのある経営者もたくさんおります。当時25歳のひよっこの言うことを聞いていただいて事業展開してくれた皆さんには感謝しかありません。

最近では2代目の息子さんと次なる事業展開を行っている例もあります。




セミナー開催するにしてもどうやって会場に集客するか?

担当者は土屋、松本以外に2名増えて4名になりましたが、日本中を同時並行でセミナーを開催していましたので、受付もお茶出しも、講師も全部一人でやるという超マルチタスクでの開催、受付やお茶出しした人が講師もやるという。。。

信用があったのかどうか、今ではわかりません。

4名で年間60回以上の加盟開発セミナーを北海道から沖縄まで手分けして行っておりました。オンラインセミナーもないので全てリアルで行っておりました。

 





・物件開発については、

 当時、急速に店舗数が広がっている企業の一つにユニクロと洋服の青山がありました。

彼らの開発の共通点が大和ハウス工業のロック開発部という物件紹介+店舗建築の部署だったのです。まったく大和ハウスと繋がりのなかった私と片山社長は、大阪の大和ハウス工業本社に飛び込みで担当役員との面談を試みました。受付で事情を説明してサンマルクの資料を見せたところ、当時専務の扇田専務にお会いいただけることになり、飛び込みからそのまま役員室に通されたのです。2時間ほどの面談で「面白い!やろう」となりまして、当時

50支店ほどあった日本中の大和ハウスの支店を全部周って、支店長にサンマルクの事業説明してくれ!アポイントが来たら合うようにという大号令だけは出しておく、ということで、物件開発プロジェクトもスタートしたのでした。ちなみに全国を回る担当者は土屋と松本の2名だけでした。

それぞれの支店で、営業マンが各支店に戻って来る、夕方からVTRを見せてのサンマルクの事業説明、全国行脚が始まったのでした。様々な支店から多くの物件が紹介され、立地選定しユニクロや青山ほどのスピード感はありませんでしたが、岡山の地方の一企業としては十分すぎる成長路線を走り始めたのです。




今回ここでは語りませんが、多くの方がご存じの「フランチャイズのベンチャー・リンク」という流れは、このサンマルクが4年で株式公開を実現したという事実に、証券会社や銀行が驚いて続々とベンチャー・リンクにフランチャイズ開発の相談を寄せたということから始まります。また別の機会にお話します。サンマルクでの経験がその後もガリバーや牛角やかつや、銀のさら、ベンチャー・リンクが手掛けたすべてのフランチャイズ本部企業の本部構築、加盟開発、物件立地開発のいお下枝になっていることは疑いの余地がありません。担当した土屋、現在の弊社役員の松本との2名でベンチャーリンクのフランチャイズ事業を作ってきたのですから。折を見て加盟開発虎の巻を公開したいと思います。

 

サンマルクの株式公開後、私は東京に戻ることになりました。

1991年からの4年間で株式公開も実現できたからです。その後多くのフランチャイズ本部から開発支援の要請をいただきました。証券会社や銀行からの紹介も多かったように思います。

私は4年間、日本中の様々な経営者とお会いして経営の楽しみを知ることとなり、自分で起業する道を選びました。1996年にプライム・リンクという会社を、親会社と共同出資で立ち上げたのです。加盟開発事業の部門長として、グループ企業の社長として二足のわらじを履く生活の始まりです。

プライム・リンクでは、私が知っている事業はサンマルクだけでしたので、まずはサンマルクに加盟して、東京で2店舗立ち上げました。社長と言っても店長、マネージャーのような業務です。朝から晩まで店に張り付いて店舗を立ち上げて行きました。

その後、牛角や様々な飲食フランチャイズの加盟店となり、牛角はエリア本部事業を展開して青森から沖縄までの人口分布で8割(一都三県を除く)のエリアで牛角の本部事業を展開していきました。10ブランドで500店舗ほど展開して、プライム・リンクも2001年に株式上場を実現しました。

2006年にプライム・リンクを退任して作った会社が今のアセンティア・ホールディングスです。

 

牛角のエリア本部事業の成り立ちや成功要因、牛角が日本中で一気に成長できた理由、各エリアで肉もメニューも全部違っていたことが大きな成功要因 等々については折を見てまた記載します。






サンマルクは株式公開後に得た資金でいくつかのブランドの直営での展開をしておりました。その一つが1999年に銀座に1号店を開店したサンマルクカフェです。

 

・サンマルクカフェが海外展開を行った軌跡について教えて下さい

2011年頃に 当時350店舗ほど国内で直営展開していたサンマルクカフェを海外展開をしないかということで 久しぶりにサンマルク 本部、片山社長を訪れました。

当時 中国の上海にはすでに 直営で展開していたのですが、あまり順調に行っておらず、海外に フランチャイズで展開するということも、まだ行っていなかったので、シンガポールに法人を設立し、サンマルクカフェの ASEAN でのFC展開を中心に進めることを提案しました。 

当時 片山社長に言われたのは、「まだ日本国内で展開の余地がある、スターバックスの店舗数と比較するとまだまだ日本国内で展開できる」 

という認識を持っており、海外に対しては消極的でありました。

サンマルク経営幹部のASEAN視察を提案し、私がシンガポール、インドネシア、マレーシア、タイを案内してマーケットの大きさを理解いただき、その後1年半ぐらい通い続けて創業者の片山社長を口説き落として、サンマルクのシンガポールでの法人設立とASEANでのアンテナショップとしての直営店舗出店とフランチャイズ展開がスタートしました 。

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・最初にシンガポールに展開した理由を教えて下さい

 サンマルクという企業としての最初の海外展開は上海での直営店舗展開です。

マーケットの大きさが魅力的ということだったと思います。

 

私は2011年からシンガポールに居住していました。

またシンガポールはすでに日本以上に一人当たりGDPの高い国でした。

いわゆる経済大国という意味では日本以上に魅力的であったのです。

 

そういう意味でもASEANでのFC展開に魅力を感じていました。ただ当時ASEANの人たちは、シンガポール人でさえも日本入国にはVISAが必要だったのです。わざわざVISAを申請し取得して、ASEANから日本に店舗視察ツアーに行くというのは加盟開発進めるにあたり大きなハードルでありました。

そこで、シンガポールに1店舗アンテナショップをつくり、シンガポールに視察に来ていただいて、そこからASEAN中に開発を広めていくということをプロジェクトしたのです。

これはその後の大きなASEANでの成長の第一歩だったのです。







・サンマルクカフェの海外展開(1号店物件発掘等)は最初からうまくいきましたか?

 サンマルクカフェのシンガポールのスタートは決して容易ではありませんでした。

1号店用の物件の取得が一番難航しました。

日本で350店舗 ぐらい 展開しているサンマルクカフェですが、シンガポールにおける知名度は ゼロです。

デベロッパーと交渉しても「スターバックスと何がちがうの?」で 終わりです。

断られた物件に、後日スターバックスが開店したときにはかなり落ち込みました。

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シンガポールは郊外型という発想があまりなくほぼ全ての店舗がモールの中で展開するということが基本になっています。

シンガポールにあるデベロッパーは4つほど大きな会社があるのですけれども、どこのモールにもスターバックスも出ているし、世界中の グローバル カフェブランドも出店しているのでサンマルクカフェが入る余地は全くありませんでした。

 

 運よく、メイプルツリーという 港湾関係の会社が運営しているデベロッパーがありまして VIVO CITYというモールを運営しているのですが、リテール担当者から入っても先述の理由から埒が明かなかったので、港湾関係の担当者の方から リテールトップを紹介いただき、なんとか契約までこぎつけたという経緯があります。

 

 当初、それ以外のモールで契約寸前まで行っていたのですけれども、日本で多くの店舗の出店に携わった私としては十分に納得いく立地ではなかったので躊躇しており、1号店の物件立地がその国での成功のすべてを決めるという自負のもと、最後の最後でVIVO CITYに出店できたことがサンマルクカフェのASEANでの成功の魁になったと思っています。

 

今となっては笑い話ですが、この物件を日本の役員会に出店申請したときに却下をいただきまして。
店前通行量が日本の立地基準にそぐわないと。。。
路面中心に出店していた日本とモール中心のシンガポールでは店前通行量が違うのは当たり前で。。
同モール内にあるスターバックス2店舗の売上金額を朝から晩まで週2回調査して、レポート申請して役員会を通した覚えがあります。

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・どのような企業形態で出店しましたか?

 サンマルクシンガポール(東南アジア)の法人のスタートはサンマルクと私共の共同出資による法人設立からスタートしました。

1号店の立ち上げを境に、私はサンマルクシンガポールの代表を外れ、後任のメンバーがそれらを広げていくこととなりました。

日本のカフェブランドの海外展開で30店舗を超える展開ができたのはサンマルクカフェくらいではないでしょうか?

直営だけで展開していたらそのようなスピードでは展開できなかったとおもいます。

シンガポールは直営、それ以外のASEAN各国はフランチャイズという最初の思想が良かったのだと思います。

当時、濃厚とんこつラーメン「バリ馬」とサンマルクカフェは同時にシンガポールにおいて直営でスタートしました。人材の採用、教育、労務管理と日本と国も違うので大変な工数を取られたことを覚えています。海外で展開するならフランチャイズという考えはこのときから生まれたものです。

 

残念ながら創業者である片山社長が2018年に60歳の若さでお亡くなりになり、その後海外展開が急速にしぼんでいったのは残念なことであります。




聞き手

アセンティア・ホールディングス インターン生  James Michael Stuart Rakotomalala(マダガスカル出身)

 

話し手

アセンティア・ホールディングス 代表 土屋 晃