フードビジネスの海外展開の話題が増えているが、そもそも海外展開する際はフランチャイズやライセンス契約を駆使して、現地の企業に経営を委ねるのが世界の常識です。
海外進出Successインタビュー Vol.1
【海外進出サクセスインタビュー】
今後の日本を考えると、思い切って海外に出たほうがよい
その際、大切なのがサポートしてくれる存在
ラーメン「ばり馬」創業社長 江口歳春氏
株式会社エステイトエグチ 代表取締役会長 江口歳春氏
(プロフィール)1953年、広島市生まれ。郵便局勤務後、独立。友人との建築内装業を経て、1992年にエグチフードサービス設立(2005年に、株式会社ウィズリンクに名称変更)。複数の外食FCに加盟のほか、自社ブランドのカレー店も経営。2003年にとんこつ鶏ガラ醤油ラーメン『ばり馬』を創業。2011年、国内で約40店舗を展開時に、シンガポール現地法人を設立し、海外で『ばり馬』のFCを展開。2019年に、吉野家ホールディングスにウィズリンクホールディングスの事業(国内外の「ばり馬」「とりの助」)を売却。現在、広島でcafeとねこ雑貨『猫かっとん』を運営。
(cafeとねこ雑貨『猫かっとん』)
―― 『ばり馬』の誕生から国内展開について教えてください。
いろいろなFCブランドを勉強させていただくうちに、(自社ブランドの)カレーをやめて、思い切って新しい何かに業態変更したほうがよいと思えてきました。
そこで、食べ歩いたりしているうちに、ラーメンに魅力を感じたのです、その業態力、集客力に。そして、ラーメンを勉強してみようと思ったのです。
それで、試験的にメーカーさんと共同でラーメンを作りました。スープと麺を半年かかって開発して。それを社員に食べてもらったら、好評だったのです。「うまい、うまい、いける」と。そして、直営店を始めたわけです。
―― 約40店舗をFC展開された頃、海外展開しようと思ったきっかけはどういうことだったのでしょうか?
寂しい話ですが、日本の外食の将来に展望がもてなかったのです。少子化で日本の人口が減ってくる。若い人、外食のターゲット層が減ってくる。そうなると、外食が食い合いになり、厳しくなることが予想できました。
だから、海外に目を向けていきたいというのはあったのです。他社で、海外に出ているところもありました。しかし、きっかけがなかった。現実問題どうやればいいのか分からなかった。
そんなときに(アセンティア・ホールディングスの)土屋さんが話をもってこられて、「一度、海外を見てみませんか」ということで、シンガポールの外食を私と息子、家内と案内してもらいました。
そうしたら、日本にはない活気、パワーを感じました。どこのお店も繁盛しているし、これはすごいなと肌で感じました。
―― そしてシンガポールに直営店舗を出されることになったのですね。
ええ、シンガポールはアジアのハブでもあり、いろいろな国の人が来ます。日本からも行きやすい。条件も揃っている。なによりも実際に行ってみた結果、決めました。
―― お店をスタートするにあたって、店舗の立地や、人の採用などはどうされたのですか? また、立ち上げメンバーは?
立地、現地での採用は土屋さんにお願いしました。スタート時は、現地の人を30人ぐらい採用したと思います。日本からは3人を送りこみました。息子と、海外に行きたいという社員のなかから『ばり馬』のベテランの店長経験者ともう一人を行かせました。
―― 順調なスタートだったのですか?
それが、スタート時は業績がよくなかったんです。
そこで、思い切ってスープを変えました。最初は日本のスープと同じだったのですが、海外用に味や作り方を変えました。とんこつスープではあるのですが。
それから好調に伸び、どんどん売り上げが上がり、日本の業績以上に伸びました。
―― そして、この直営店をアンテナショップとして、アジアでFC展開されることになった。
ええ、日本でもFC展開していますし、海外でも同じようにFC展開したかった。とくに海外の場合、現地をよく分かっている現地のオーナー様にやっていただくのが、人の面やさまざまな面で良いだろうと最初から思っていました。加盟店の募集もアセンティアにお願いしました。
(2011年)当時、ASEAN諸国の人は来日するのにVisaが要り、容易に来日できなかったのですが、シンガポールのアンテナショップなら見に行って、実際に試食もしやすい。
1年後にまた1店舗、直営店を出し、研修トレーニング店舗の役割も持たせました。シンガポールは、英語、中国語がOKで、研修もしやすい。
―― その後、FCは、4年で34、35店舗ほどまで広がったのですね。
始めはインドネシアとマレーシア。その加盟店とシンガポールをオーナー様が見られて、フィリピン、オーストラリア、中国(香港、深セン、上海、青島)、台湾、マカオと拡がっていきました。40店舗近くまで行ったと思います。
店舗の立地にもよりますが、インドネシアは業績がよく10店舗ぐらい、香港も当時10店舗ぐらいになりました。
その後、私は事業を手放すことになりましたが。
―― 吉野家ホールディングスに事業を売却されることになった。これはどうしてでしょう?
会社の継承は以前から考えていて、当初は息子に継がせることを考えていました。しかし、ビジネスが大きくなり、変化の激しい時代でもあり、M&Aも考えるようになりました。息子と家内に相談し、思い切ってM&Aを行なうことにしました。
当時、吉野家ホールディングスさんは、ラーメン本部も持っておられたのですが、海外展開をされたかった。海外展開という観点から当社に興味をもたれた。
―― もし海外へ踏み出されていなかったら、今頃どんな日々だったと想像されますか?
コロナがなかったとしても、国内だけでやっていたら業績は伸びていない、横ばいが精一杯だったと思います。
外食の加盟店は、社員やアルバイトの採用、働き方改革などもあり、FCのロイヤリティを払いながら、利益を上げていくのは、昔より厳しくなっていると思います。
そうなると、加盟店が増えず、FC本部の業績も厳しくなります。
―― 海外の直営店舗で苦労されたことは?
何かあったときにパッと動けない、ヘルプできないというジレンマはありました。人のこと、言葉のこと、日本との違いなどで、何か問題が起きても、こちらも海外での対応が分かりませんし、いろいろなことを現地の店長、マネージャーに任せるしかない。そこが一番苦労した点ですね。
―― 海外と国内のFCの違いはありましたか?
日本のオーナー様の場合、本部の方針や決定事項に関して、ある程度聞いていただけますが、海外はだいぶん違います。独断でいろいろ変えたり、メニューを変えたりされる方もいらっしゃいました。
また、日本以上に売り上げ、利益の数字を言われます。海外のオーナー様のほうがシビアで、強いです。逆に、良かったらどんどん展開されます。スピードが速い。
―― 最後に、これから海外展開を目指す企業にひと言お願いします。
私は海外に出る気はあったのですが、実際に海外に出られたきっかけは、土屋社長なのですね。海外出店は、飲食に限らず、誰かサポートする人がいないと極めて難しいと思います。
税務、経理、労務、日本とはまったく違う国に行ってやらなきゃいけないですから、きちんとサポートしてくれる人がいないと、現実的に難しい。言語も違う、住むところも探さないといけない、やることは山積みで、体が何個あっても足りません。
さらに、誰に頼るかです。頼った日本人のコンサルタントが、信用できる人か、これまで海外の実績や経験があるのかです。
土屋さんの場合、海外での実績はたくさんおありで、海外のFC展開では日本で一番だと思います。シンガポールの直営店はアセンティアとの共同出資で立ち上げていて、経営参画いただき、土屋さんにはシンガポールで身近に息子を支援していただきました。
日本の店舗で、海外に独自に出店されているところもありますが、2、3店舗出して行き詰ったりもしています。何か問題が起きたとき、サポートする人がいないとかなり厳しいと思います。
日本はもう「いけいけ、どんどんの時代」ではありませんし、少子化を考えると、海外で展開しやすい事業をお持ちなら、思い切って出られたほうがいいでしょう。ただし、誰かサポートする人、企業を見つけることが必須だと思います。